日記 diary

Turning over a new leaf

Way too chilly for the cherrys to blossom I reckon… But season is moving and one sees tiny pink buds about to spring, literally if the weather permits.

March is always associated to life changes, sometimes fare wells, other times new stage.

For a person who was born in April like me, passing through vernal equinox is like a reborn period – building new self, establishing fresh routine.

半年間お世話になった親愛なる同僚Y女史の名言を何度も反芻する時間を過ごしています。

『三十代は軌道修正』

彼女とはほぼ同期入社、オフィスの右野手・左野手としてクーの爪痕が事業基盤全域に顕在な政権交代夜明けさながらの現場を整備し、新しい秩序を創るフェーズを歩いてきました。

知り合って僅か半年間の、しかも職場での付き合いとは思えないほど、深く本音で語り、価値観の温度差なく自然な呼吸で働くことができて、同じことに喜び、怒り、哀しみ、笑い。

前世は双子か姉妹だったのではないか?くらいに感覚がぴったりとくる女性でした。Y女史に出会うための転職だったと言い切れるほど。

その彼女が人生の先輩として共有してくれた様々な経験の中で、「嗚呼、よくぞ言語化してくださった!」という名言が前述の件。

『三十代は軌道修正なんだよ、絢子』

そうっすね、先輩!
さすがっすね、Yさん!
と、満ヘェー!ボタン連打したいくらいでした。

身体、心、針路、スタイル。

二十代は暗中模索、不昧不落とは間逆な有様で、欲しいコト・モノも曖昧なまま、時に野生の勘で舵取りしつつも、他人・世間の価値観という鋳型で自分の物差しやスタイルを鋳造して選択すれば正しいはずと鈍感になっていき。
時間も自由も浪費する他に智も術も力も、何一つ持ち合わせてなかった。

義務教育も学位も、我が身を助く礎に出来てなかった事実。

そのツケを心身共に払い続けつつ、find the right track for myself をテーマに導かれ?足掻いてきたのがこの10年かもしれない。

未だ智も術も力も充分ではないし、何れも補完作業は天に召される日まで終わりはないだろう。

けど、迷ってきた轍は振り返ればいやってほどみえるし、経験はあちこちに刻まれて、転ぶ辛さや起き上がった時にしか見えない景色があることは分かってきた。

握るべきコンパスと、照らすべき地図はなんとなく手にした感覚はあるし、目指したい園の輪郭も描けてきた。

自分らしいってなんだろ?にとことん付き合う肚も少しは坐ったように思う。

だから、

目前の四十路はさほどbumpyでもgloomy でもないかもしれない。

そう改めて見据えられたのは、Y女史を始めとした楽しく生き美しく活きている諸先輩方のお陰の他ならない。

格好良く生き抜いてみせる。
そんな四十路で魅せていく。


新たなチャプターを拓いた春分に寄せて。